Kiraku 映画論評
『ジーザス・クライスト・スーパースター』~イエスの受難のストーリーを通じて、愛する人が振り向いてくれないので嫉妬して裏切り、後悔することの虚しさを教えてくれる~
2011年12月20日 08時29分 配信
4
『ジーザス・クライスト・スーパースター』は『エビータ』『ライオン・キング』などで知られる作詞家ティム・ライスと『エビータ』『オペラ座の怪人』などで知られる作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの黄金コンビによるミュージカルを『夜の大捜査線』(67年)のノーマン・ジュイソンが映画化した1973年作品。イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)の最後の7日間を描いたロックミュージカルで71年にブロードウェイで初演され、世界中で大ヒットとなった。セリフが無く音楽と歌曲のみで構成されたオペラ形式なのが特徴で、日本では劇団四季により初演され、鹿賀丈史の出世作となった。
ヒッピー文化全盛の時代にヒッピー風のファッションに身を包んだ若者達が繰り広げる神の子イエスの物語は、その爆発的なエネルギーに圧倒される。 民衆がイエスを讃え歌う「ホザンナ」、シモンを先頭に民衆が狂ったように踊る「熱心党シモン」、どうイエスを愛したらいいか分からないとマリアが歌う「私 はイエスが分からない」、幻想の世界で黒ではなく白い天使を思わせる衣装に身を包んだユダが歌うイエスを讃える「スーパースター」など名曲ぞろいの楽曲と 熱い演技にどんどんその世界に引き込まれていく。やはり作詞家ティム・ライスと作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーによる楽曲の素晴らしさと当時の時代背景に置き換えたストーリーやファッションがこの作品の最大の魅力となっている。2000年前とあまり変わらないというイスラエルの砂漠地帯ででロケされたことで、イエスの時代の雰囲気をを感じることができる。
映画は70年にレコード化された『オリジナル・ロンドン・コンセプト・アルバム』に基づいていてそこでは大人気ハード・ロック・バンドのディープ・パープルのリードボーカルリストだったイアン・ギランがイエスのパートを歌っていたそうだ。ギランのイエスが見られなくて残念だったが、イエスを演じたテッド・ニーリーは風貌もイエスそっくりで、はまり役だったといえよう。ロスアンゼルス公演でもイエスを演じていたそうで、歌唱力も演技力も中々のものだ。その後は映画出演がないのが残念だ。マグダラのマリアを演じたのはイヴォンヌ・エリマン。『オリジナル・ロンドン・コンセプト・アルバム』とブロードウェイ公演でもマリアを演じていて、ハワイ出身で黒髪の風貌もイメージにぴったりだ。この『ジーザス・クライスト・スーパースター』の演技でゴールデングローブ賞主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされるなど世界的にブレイクを果たし、翌年からはエリック・クラプトンのバンドで5年にわたりバックアップ・ボーカルを務めながらソロ歌手としても活躍、78年には「アイ・キャント・ハヴ・ユー」が全米1位となった。ユダを演じたのが黒人でR&B歌手のカール・アンダーソン。ブロードウェイとロサンゼルス公演でもユダ役を演じていた。「スーパースター」での熱唱は圧巻で80年代はソロ歌手として活躍した。
ネタバレなしの途中までのストーリーは、鉄製の足場が築かれたイスラエルの砂漠で始まる。遠くから1台のバスが現われ、50人の若者が降りてきて、衣装や小道具、大きな十字架が降ろされた。若者たちは衣装をつけ始めた。 荒野でユダ(カール・アンダーソン)が一人で考えこんでいる。地下のほら穴ではマグダラのマリア(イヴォンヌ・エリマン)がイエス(テッド・ニーリー)の額の汗をぬぐっていた。使徒や女たちが、エルサレムへ行くまでのことを心配してイエスを悩ませた。ユダヤ教のカヤパ大司祭の家では司祭長のアンナスが訪れて談合をし、ガリラヤからきた男イエスは死ぬべきだと決心した。イエスに香油を塗るマリアに高価な香油を使うなと再びユダがつっかかり、イエスに叱責され二人の溝は決定的になった。民衆はイエスを讃える歌を歌い、使徒シモンは人々が熱狂的になるように仕向け、狂ったように歌い踊った。ローマの総督ピラトはイエスの夢を見るのだった。聖なる寺院にたむろう商人にイエスは怒り、商品を叩き潰すのだった。 疲れ果てたイエスはマリアの世話を受け、マリアはイエスへの愛を歌うのだった。ユダが砂漠にうずくまっていると突然戦車が現われ、おりたったカヤパとアンナスが金をやるからイエスの居所を教えるようにといった。ユダは火曜日の夜にイ エスはゲッセマネの園へ行くだろうと答えるのだった....。
主人公はイエスというよりも裏切り者である13番目の使徒として知られるイスカリオテのユダで、イエスを愛するあまり自分のみを愛してく れないことの虚しさからイエスを裏切ってしまうというテーマを主軸にストーリーが展開されている。さらにイエスを神の子ではなく父である神と無知な民衆との間で苦悩するひと りの人間として描き、マグダラのマリアとの愛にも似た関係にも焦点をあてている。
『キング・オブ・キングス』 (27年)、『偉大な生涯の物語』(65年)、『パッション』(04年)などイエス・キリストの受難について描いた映画も多く公開され、最後の晩餐などのストーリーは日本でも広く知られている。しかしこの『ジーザス・クライスト・スーパースター』ようにユダをイエスを愛するあまり裏切った存在として描いたり、イエスをここまで人間として描いた作品はないだろう。『ジーザス・クライスト・スーパースター』が伝統的な社会や制度を否定するという精神から発展して伝統的なキリスト教的価値観をも否定していた当時のヒッピー運動の中で生まれたことは間違いないだろう。
ユダの心情の変化を、愛した人から愛されなかった際の孤独と嫉妬、そこから生まれる憎悪と裏切り、愛する人を裏切ってしまった深い自責の念による自殺として描いている。
マグダラのマリアもイエスを男性として愛しているように描かれているので、ユダのイエスへの愛はゲイの愛で、愛する男が自分よりも女をかばうので嫉妬に燃えたという捉え方もあるだろう。事実「不思議な出来事」で元娼婦であるマグダラのマリアがイエスに仕えているのをユダが責めてイエスに叱責され、「今宵安らかに」ででは高価な香油を使ってイエスをマッサージするマリアに香油を貧しい者のために売るべきだと再びユダが文句を言うとイエスがマリアをかばったために、イエスとユダの亀裂が決定的になったわけだ。
となると『ジーザス・クライスト・スーパースター』とは、神の子として崇めていた男性への気持ちがゲイとしての愛へと変わってしまった一人のゲイの男性が、愛する男性が振り向いてくれず、自分よりも元娼婦である汚らわしい女性を大事にするので、誇りが傷ついたことと嫉妬が重なったことで愛情が憎しみに変わり、男性を裏切り、死に追いやってしまう。裏切った後で大きな後悔の念が襲ってきて自殺したが、その後天国から幻想の中に表われ愛する男性を神の子として讃えた、というストーリーの作品として解釈することができる。ヒッピー運動は既成概念を否定しゲイにも好意的だったわけだから、こうした解釈もあながち間違いではないだろう。
公開当時は敬虔なキリスト教徒や保守派の大きな反対運動が沸き起こったようだが、宗教的な違和感を感じることのない日本人には素直にその音楽とストーリーを楽しめる作品といえるだろう。
ヒッピー文化全盛の時代にヒッピー風のファッションに身を包んだ若者達が繰り広げる神の子イエスの物語は、その爆発的なエネルギーに圧倒される。 民衆がイエスを讃え歌う「ホザンナ」、シモンを先頭に民衆が狂ったように踊る「熱心党シモン」、どうイエスを愛したらいいか分からないとマリアが歌う「私 はイエスが分からない」、幻想の世界で黒ではなく白い天使を思わせる衣装に身を包んだユダが歌うイエスを讃える「スーパースター」など名曲ぞろいの楽曲と 熱い演技にどんどんその世界に引き込まれていく。やはり作詞家ティム・ライスと作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーによる楽曲の素晴らしさと当時の時代背景に置き換えたストーリーやファッションがこの作品の最大の魅力となっている。2000年前とあまり変わらないというイスラエルの砂漠地帯ででロケされたことで、イエスの時代の雰囲気をを感じることができる。
映画は70年にレコード化された『オリジナル・ロンドン・コンセプト・アルバム』に基づいていてそこでは大人気ハード・ロック・バンドのディープ・パープルのリードボーカルリストだったイアン・ギランがイエスのパートを歌っていたそうだ。ギランのイエスが見られなくて残念だったが、イエスを演じたテッド・ニーリーは風貌もイエスそっくりで、はまり役だったといえよう。ロスアンゼルス公演でもイエスを演じていたそうで、歌唱力も演技力も中々のものだ。その後は映画出演がないのが残念だ。マグダラのマリアを演じたのはイヴォンヌ・エリマン。『オリジナル・ロンドン・コンセプト・アルバム』とブロードウェイ公演でもマリアを演じていて、ハワイ出身で黒髪の風貌もイメージにぴったりだ。この『ジーザス・クライスト・スーパースター』の演技でゴールデングローブ賞主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされるなど世界的にブレイクを果たし、翌年からはエリック・クラプトンのバンドで5年にわたりバックアップ・ボーカルを務めながらソロ歌手としても活躍、78年には「アイ・キャント・ハヴ・ユー」が全米1位となった。ユダを演じたのが黒人でR&B歌手のカール・アンダーソン。ブロードウェイとロサンゼルス公演でもユダ役を演じていた。「スーパースター」での熱唱は圧巻で80年代はソロ歌手として活躍した。
ネタバレなしの途中までのストーリーは、鉄製の足場が築かれたイスラエルの砂漠で始まる。遠くから1台のバスが現われ、50人の若者が降りてきて、衣装や小道具、大きな十字架が降ろされた。若者たちは衣装をつけ始めた。 荒野でユダ(カール・アンダーソン)が一人で考えこんでいる。地下のほら穴ではマグダラのマリア(イヴォンヌ・エリマン)がイエス(テッド・ニーリー)の額の汗をぬぐっていた。使徒や女たちが、エルサレムへ行くまでのことを心配してイエスを悩ませた。ユダヤ教のカヤパ大司祭の家では司祭長のアンナスが訪れて談合をし、ガリラヤからきた男イエスは死ぬべきだと決心した。イエスに香油を塗るマリアに高価な香油を使うなと再びユダがつっかかり、イエスに叱責され二人の溝は決定的になった。民衆はイエスを讃える歌を歌い、使徒シモンは人々が熱狂的になるように仕向け、狂ったように歌い踊った。ローマの総督ピラトはイエスの夢を見るのだった。聖なる寺院にたむろう商人にイエスは怒り、商品を叩き潰すのだった。 疲れ果てたイエスはマリアの世話を受け、マリアはイエスへの愛を歌うのだった。ユダが砂漠にうずくまっていると突然戦車が現われ、おりたったカヤパとアンナスが金をやるからイエスの居所を教えるようにといった。ユダは火曜日の夜にイ エスはゲッセマネの園へ行くだろうと答えるのだった....。
主人公はイエスというよりも裏切り者である13番目の使徒として知られるイスカリオテのユダで、イエスを愛するあまり自分のみを愛してく れないことの虚しさからイエスを裏切ってしまうというテーマを主軸にストーリーが展開されている。さらにイエスを神の子ではなく父である神と無知な民衆との間で苦悩するひと りの人間として描き、マグダラのマリアとの愛にも似た関係にも焦点をあてている。
『キング・オブ・キングス』 (27年)、『偉大な生涯の物語』(65年)、『パッション』(04年)などイエス・キリストの受難について描いた映画も多く公開され、最後の晩餐などのストーリーは日本でも広く知られている。しかしこの『ジーザス・クライスト・スーパースター』ようにユダをイエスを愛するあまり裏切った存在として描いたり、イエスをここまで人間として描いた作品はないだろう。『ジーザス・クライスト・スーパースター』が伝統的な社会や制度を否定するという精神から発展して伝統的なキリスト教的価値観をも否定していた当時のヒッピー運動の中で生まれたことは間違いないだろう。
ユダの心情の変化を、愛した人から愛されなかった際の孤独と嫉妬、そこから生まれる憎悪と裏切り、愛する人を裏切ってしまった深い自責の念による自殺として描いている。
マグダラのマリアもイエスを男性として愛しているように描かれているので、ユダのイエスへの愛はゲイの愛で、愛する男が自分よりも女をかばうので嫉妬に燃えたという捉え方もあるだろう。事実「不思議な出来事」で元娼婦であるマグダラのマリアがイエスに仕えているのをユダが責めてイエスに叱責され、「今宵安らかに」ででは高価な香油を使ってイエスをマッサージするマリアに香油を貧しい者のために売るべきだと再びユダが文句を言うとイエスがマリアをかばったために、イエスとユダの亀裂が決定的になったわけだ。
となると『ジーザス・クライスト・スーパースター』とは、神の子として崇めていた男性への気持ちがゲイとしての愛へと変わってしまった一人のゲイの男性が、愛する男性が振り向いてくれず、自分よりも元娼婦である汚らわしい女性を大事にするので、誇りが傷ついたことと嫉妬が重なったことで愛情が憎しみに変わり、男性を裏切り、死に追いやってしまう。裏切った後で大きな後悔の念が襲ってきて自殺したが、その後天国から幻想の中に表われ愛する男性を神の子として讃えた、というストーリーの作品として解釈することができる。ヒッピー運動は既成概念を否定しゲイにも好意的だったわけだから、こうした解釈もあながち間違いではないだろう。
公開当時は敬虔なキリスト教徒や保守派の大きな反対運動が沸き起こったようだが、宗教的な違和感を感じることのない日本人には素直にその音楽とストーリーを楽しめる作品といえるだろう。
最終更新:2011年12月20日 02時22分
関連リンク





