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Kiraku 映画論評

『ブーベの恋人』~恋人のために自分の幸せを捨てて生きるりりしさを描いた~


2012年1月14日 08時55分 配信Ic_star33

『ブーベの恋人』はイタリアの小説家カルロ・カッソーラの同名小説を映画化した63年のイタリア映画。第二次大戦直後のイタリアを舞台に、離れ離れになった恋人を待ち続ける女性の生き様を描いた感動作だ。ヒロインの心情を吐露しているかのようなカルロ・ルスティケッリによる哀愁を帯びたテーマ曲も強く印象に残る。ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』と同じくクローズアップを多用してヒロインの表情の変化によりその感情の動きを見事に描き出している

ヒロインであるブーベの恋人であるマルタを演じたのがC.C.の愛称で知られる60年代のイタリアを代表するセックス・シンボルであるクラウディア・カルディナーレ。アラン・ドロン演ずる公爵の甥の婚約者を演じたヴィスコンティ監督の傑作『山猫』(63年)、ロバート・ワグナー演ずる怪盗と恋に落ちる王女を演じたピンク・パンサーシリーズの第1作にあたる『ピンクの豹』(63年)、マストロヤンニ演ずる映画監督の憧れの女性を演じたフェリーニ監督の自伝的作品の『8 1/2』(63年)で一気にスターダムを駆け上った。この『ブーベの恋人』では幸せをかなぐりすててブーベを待ち続ける強く、気高い女性像を感動的に演じて高い評価を獲得、見事ナストロ・ダルジェント主演女優賞を獲得した。パルチザンの青年ブーベを演じたのがギリシャ系のアメリカ人であるジョージ・チャキリス。61年に『ウエスト・サイド物語』でプエルトリコ系の不良グループのシャーク団のリーダー、ベルナルドを演じアカデミー助演賞を受賞、一気にトップスターとなっていた。この『ブーベの恋人』でもカルディナーレの影にかすんでしまっている感がになめない。やはりベルナルドの印象が強すぎ、以降もメキシコのマヤ文明が舞台のユル・ブリンナー共演の『太陽の帝王』(63年)、フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ姉妹の相手役を演じたミュージカル『ロシュフォールの恋人たち』(66年)以降は舞台に活動を移すことになる。マルタを愛する青年ステファノを演じたのがマルク・ミシェル『シェルブールの雨傘 』(63年)でドヌーブ演ずるヒロインと結婚する金持ちの紳士を演じていた。今回も『シェルブールの雨傘 』同様に離れ離れになった恋人を忘れられない女に恋をする「いい人」役を演じている。

ネタバレなしの途中までのストーリーはアメリカ軍によるシチリア島解放にわく1944年のイタリアで始まる。
ある日マーラ(クラウディア・カルディナーレ)の家にブーベ(ジョージ・チャキリス)という青年が訪れた。終戦となり故郷に帰る途中にパルチザンとして共に戦ってきたマーラの異父兄サンテの最期をマーラ(クラウディア・カルディナーレ)の家に、ブーベ(ジョージ・チャキリス)という青年が訪れた。終戦になって、故郷に帰る途中、マーラの異父兄サンテの最期を報告するために立ちよったのだった。マーラの父親はブーベを歓待したが、サンテを失い悲しみに暮れる母親はパルチザンであるブーベを毛嫌いした。翌朝ブーベは服を作るようにとマーラに絹でできたパラシュートを渡すと故郷へと帰っていった。ブーベの到来を待つようになったマーラのもとにブーベが訪ねて来た。仲間と運送屋をはじめることになったというブーベはマーラの父親からマーラとの婚約の許しを得るために来たのだが、マーラは自分の気持ちを確かめないで勝手に婚約をすすめるブーベと口論となってしまう。何カ月かたったある日突然ブーベがマーラの家にやってきた。パルチザンだとからまれた憲兵の息子を射殺し、警察に追われる身となってしまったブーベはマーラを故郷へ連れにきたのだった。マーラはブーベの故郷に行き家族に対面するが警察の追っ手が迫り、パルチザンの仲間により廃墟となった工場へ逃れた。しかしそこにも危険が迫り、ブーベは国外に逃亡することになってしまった。ブーベからは長い間便りがなく、マーラは町で女友達と同居するようになった。そして女友達の彼氏の紹介でステファノ(マルク・ミシェル)と出会った。マーラは次第にステファノに惹かれていった。そんなある日ブーベがイタリアに送還され殺人犯として裁判にかけられるという報せが届いた.....。

タイトルの『ブーベの恋人』という意味はこの後作品の終盤で明らかになる。マルタがステファノとの結婚を一度は決意しながらも、刑務所での
ブーベとの面会で頼れるのは君だけだと言われ、ブーベを待ち続ける決心をする。ステファノにもう二度と会わないと告げるときのせりふが「私はブーベの恋人だから」というものだ。

ブーベをそれほど愛しているわけでもないのに、自分しか頼るもののいないブーベを見捨てるわけにはいかないと自らの幸せを犠牲にするマルタの強さに感動する。そうした決意をしたカルディナーレのりりしい美しさも忘れられない。しかしその決断は第二次大戦の厳しい環境を食べるのもやっとという状況で生き抜いてきたからこそできたものであり、現代の衣食住が満ち足りた日本にこのような女性がいるとは到底思えない。そうなると残念ながら感情移入をするのが難しくなってしまう。小説が発表された60年、映画が公開された63年という時代であればもっと感動できたのかもしれないが、現代でも通用する名作とはいえないのが残念だ。


クラウディア・カルディナーレの美しさ(外見的ではなく、意思の強さから来る内面の美しさ)と哀愁を帯びたテーマ曲ばかりが印象に残る。C.C.のファンや『自転車泥棒』などの戦後イタリアのネオレアリズモ作品のファンにはおすすめできる作品だ。

最終更新:2012年1月12日 00時39分

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